こっぴー&るっぴー   可愛い女の子  2008.5.1生


by ruppycoppy
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリ:回顧録( 13 )

1997年1月24日
モモちゃんの具合が悪そうです。
温かくして過ごしていましたが、枝につかまれない所までなっていました。
モモちゃんを病院に連れていったのですが、普通のケージで行ってしまいました。
カバーもなく、吹きさらしを歩いて行ってしまったのです。
無知とは恐ろしい物です。
今からでは考えられないし、その時モモちゃんがどんなに寒くて辛い思いをしたのかと考えるだけで胸を締め付けられる思いです。
モモちゃんは卵つまりを起こしてしまっていました。
処置としては(恐らく胎盤とかに)貼りついた卵をピンセットで取り出してもらって安静にするとこのと。
ただ、その時代には、小鳥の病院など見つける手段も少なく、動物病院の先生なら診れるだろうという安易な考えしか持っていませんでした。
1997年1月25日
いよいよもって、モモちゃんの具合が悪くなっているという事がわかりました。
素人が見ても具合が悪く感じるのですから。
あんな小さな体から呼吸音が聞こえました。
くちばしは紫でした。
20時頃、私が見守る中、モモちゃんは大きく上を見上げて力なく伏せました。
久しぶりに思い出しても涙が出ます。
「私が死なせてしまった」「もう2度と動物は飼わない」「仕事を辞めて獣医学部に編入する」など言う事を日々変えて泣きながら暮らしていました。
この私がご飯も食べず、泣いていたので家族はそれはもう心配していました。

そしてるる爺ここ爺をお迎えするに至ったのです。
モモちゃんを産卵で失ったので「絶対オスがいい!」と私は希望していましたが、るるここは雛だったので性別が分かりません。
でも、運命を感じてしまったので、「女の子でも絶対悲しい事にならないよう全力で守る」なんて言って家に連れて帰って来ました。
るるここは2羽ともオスで、長生きしてくれましたし、本当に運が良かったです。

縁というのは何処でつながっているか分かりませんが、モモちゃんが今の私を作り、今の環境を与えてくれた事は紛れもない事実で、やっぱり感謝せずにはいられない存在なのです。
モモちゃん、るる爺ここ爺と出会わせてくれて、るぴこぴと出会わせてくれて本当にありがとうね。
るぴこぴは女の子だから、モモちゃんが教えてくれた事をしっかりこの子たちの為に生かすからね!!!
見守っていてね!
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-20 19:31 | 回顧録
ある冬の日、モモちゃんの籠の中に割れた卵が落ちていました…。
「えぇ!!!!!モモちゃんが産んだの?モモちゃんは女の子だったの?いつ、交尾したの?孵る卵だったのに申し訳がない!!!」などと慌てていた事が懐かしく思えます。
その数日前に母が「モモちゃんが最近太った、丸々してる」と言っていたのですが、私はさほど変化を感じずに過ごしていました。
体重なんか測った事がありませんでした。
発情期のモモちゃんは私の服の中を縦横無尽に移動したり、私の服の中で卵を産んだり、背中をなでてしまったりと、今となってはいけない事ばかりしたと反省しています。
ツボ巣も入れてあげなかったし、ご飯を巻き散らかすモモちゃんを叱ったし、元気でいてくれればそれで良かったのに、なんでもっと優しくしてあげなかったのか、ボレー粉をもっと沢山あげればよかったと今でも後悔するばかりです。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-20 19:30 | 回顧録
私が「文鳥」に初めて触れたのは1994年の夏でした。
窓際でTVを見ていたら、外から何かが羽ばたいてきました。
その時は害虫を想像していたのだけれど、母の肩にとまっていたのはとても可愛い小鳥でした。
全然逃げもせず、私の手にもすんなり乗ります。
「可愛い❤けど…」私の実家では何故か「動物禁止」という暗黙の了解があり、「飼えないだろうなぁ」っと思っていたら、母が「籠を買ってらっしゃい」と言い出しました。
慌てて窓を閉めて、近所のペットショップに行って籠を買い、とりあえず必要と思われるシードと水を入れて小鳥を中に入れました。
ここまですんなり事が進み、ご飯を食べる姿、お水を飲む姿に見とれていました。
どうやら「桜文鳥らしい」と言う事しか分かりません。
オス、メスも??? 
最初にしたフンが水分のみでしたのでお腹を透かせていたのでしょう。
「もうこれからずっと一緒ね!!!」っとウキウキしながら、初めての恒温動物との生活を満喫していました。
モモちゃんの名前は祖母が「桃子はどうだろう」と言ったところから付けました。
ほとんど考えないで付けたけど、モモちゃんが私に懐いてくれた事が私の日々を幸せな物にしてくれました。
当時、インターネットがなかったし、飼い主さんの捜索もせず、わが子として育ててしまいました。
元の飼い主さんには申し訳なかったけど、とても可愛いモモちゃんでした。
モモちゃんは人を区別することができました。
私と母とその他の人という区別があり、他の人が手を出すと、口を開けて「ケルルルッ」と怒ったものでした。
学生だった私がスーパーファミコン(古!)でドラクエをすればモモちゃんはコントローラの上でボタンをかみ、ストⅡをすればモモちゃんのあんよをボタンと一緒に押してしまったり、家にいるときはモモちゃんの存在が私のほとんどを占めていました。
一回、健康診断に動物病院に行って爪を切ってもらったのですが、出血させられました(怒)。
今でこそ小鳥を診てくれる専門の先生がいてくれます。
るぴこぴの事を思うと「良い時代になった」と感じます
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-20 19:30 | 回顧録

るる爺の思ひ出④ 晩年

その後、引越した事もあり、25:00帰宅7:30出勤の過酷な状況下で生活させた頃でした。
2005年11月
るる爺の口の端に白い塊(羽が固まって丸まったようなカンジ)があるのを見つけました。
これを湿らせた綿棒で取って、暫くするとまた出来ていたような気がします。
今思えば、口角炎だったり疥癬症だったりするのかなぁと思うのですが、
仕事も忙しかったし、るる爺も8歳11カ月だから致し方ない部分もあると現状維持を決めました。
もし、その時、小鳥の病院が近くにある事を知っていれば状況は変わったのかも知れませんが、当時では難しい話でした。
2005年12月5日
朝からるる爺はヨタヨタしていました。
あぁ、もうすぐるる爺は旅立ってしまいそうだ。
ですから、仕事からもすぐに帰って来て保温だけは万全にと心がけていました。
その日はるる爺の事が心配で偉く疲れてしまい、うたたねしてしまい25時に気が付きました。
その時、ハロゲンヒーターを切り、ペットヒーターを入れて、
「るる爺、至らない事は沢山あったと思うけど、ありがとうね。おやすみなさい。」と言って、皆で就寝しました。
2005年12月6日
朝、毛布をとるとここ爺の姿しか見えません。
るる爺は床の新聞紙の上に横たわるように亡くなっていました。
「そうか、逝ってしまったのね、ありがとう」と声を掛けて手に乗せていると
ふと、ヒーターが入っていないような気がしました。
ヒーターではなく他のコンセントを入れて寝てしまったようなのです。
記憶もあいまいだし、今となっては確認するすべはないのですが、具合の悪いるる爺に寒い思いをさせて、旅立たせてしまったというのが本当のような気がしてなりません。
もし、ヒーターが入っていたら、こんな大きな後悔を背負って生きる事もなかったでしょうが、「命の重さをるる爺が身をもって残してくれた」と感謝し、その後のここ爺の余生が豊かになるように全力で努力をしました。
現在、るぴこぴのヒーターを夜、何度も覗いて確認しています(笑:かなり迷惑な話ですね)。
るぴこぴはストレスに思ってるかもしれませんが、幼少のころから夜に何回も覗かれると慣れてしまうのかもしれません?
本当にるる爺には申し訳ない事をしてしまったという気持ちが大きいのですが、くよくよしててもるる爺に顔向けが出来ないので、るる爺の教えを忘れないで、今後の我が家の文鳥さんを大切にするんだと固く思いました。
振り返ればあんなに具合が悪そうな悪くなさそうなを繰り返していたるる爺が8歳11カ月という時間を私と一緒に過ごしてくれた事に感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
私の飼育方法では「保温命」が軸になっていると思います、過剰なほどに。
命を預かるということは難しいですが、その分喜びは大きいはず。
やはり、るる爺にも感謝して止まないのです。

ちなみにるるここはるる爺が兄、ここ爺が弟として育てていました。
くちばしの色が先にピンクになったからるる爺がお兄ちゃんです。
頭の形が丸くて可愛くなること間違いなしということでここ爺から1字取って「こっぴー」
体も小さく、羽も随分パイド化しているからるる爺から1字取って「るっぴー」
っと名付けたのですが、成鳥になってみたらるっぴーの方がここ爺に似ているし、こっぴーのほうがるる爺に似ていました(笑)。
だから、るぴこぴといてもるる爺ここ爺ともいるような感じがします。
本当に幸せなことですね。
感謝してこれからのるぴこぴとの日々を大切に過ごしたいと思います。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-13 21:37 | 回顧録
何を思いったったのか(笑)2004年の夏に健康診断に伺ったとき(ここ爺が痔と言われ、癲癇の初発作を起こした時)、るる爺の肩口辺りの羽が人の髪にジェルをつけたようにツンツンにとがっていました。
羽繕いしても水浴びしても、ツンツンは変わらず、良く見ると目の周りの羽も固まっている様子。
実はるる爺は万年風邪のような状態で、涙が出ていたようなのです。
だから目の周りの羽は固まり、首を折って寝るので肩口に涙が付いたのでツンツンになったらしいのです。
すると真田先生は「では、目の周りの羽を抜いちゃいますね」ってピンセットでプチップチッとるる爺の小さな羽根を抜いておられました(神業)。
結局、るる爺の通院はこの時が最後でした。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-13 21:36 | 回顧録

るる爺の思ひ出② 骨折

なんだかんだ言いながらも元気に過ごしていた2002年8月、
夕方見たときは何でもなかったのですが、19:30頃、寝かせようと見にいったら、なんと、るる爺の動きが悪いです。
まず、上に飛べませんでした。
当時のかごは今のるぴこぴと同タイプ、インコ-510、枝は備え付けのやや太い物を使用していました(細いタイプにしなかった事を猛反省、ハウスが大きいので適当な太さの物が品薄だったのは言い訳になりません…)。
るる爺ここ爺はオス同士でしたので喧嘩もしたのですが、大抵はここ爺の勝利で早めに決着がついていたのです。
何が原因かは分かりませんが、右肩を打ったようだ、右翼が下がっているというのは分かったので、早々に暗くして次の日まで様子を見ることにしました。
次の日は水曜日、かの有名な「バードハウス」は定休日、とりあえず、経過を見ていました。
るる爺の食欲はありがたい事に衰えず、フンも良さそうでした。
でも、肩が治る気配は一向に見られず、優しくるる爺を握って裏返して見ると、右肩からお腹のあたりまで皮膚が一面に紫色、内出血をしていました。
今の知識があれば、内出血による貧血、出血多量等が考えられたのですが、当時は安静にさせる事しか思いつかなかったのです。
ただ、知識がないとは恐ろしい事でるる爺とここ爺は同じハウスで同居していました。
隔離もしなかったし、夏なので保温もなし。
木曜日、病院に連れて行ったら3時間位待ちとかだったと思います。
しかも、文鳥2羽に対してキャリーはインコ-510のまま(爆:デカ過ぎです)
目隠しの布を巻いて洗濯バサミで保定、万が一に備え紐で十字に縛りました。
多くの方に「ヨウム?大型インコ?」等と声を掛けられましたが、
中には下段の枝に乗って寄り添う小さな桜文鳥が2羽。
禁断のグリーンボールを入れて、真田先生のお会いするとは、私も度胸が据わっていたというか、判断力がその位まで欠如していたとしか、言いようがないですね(笑)
もちろん、ソッコーお説教をくらって診察となりました。
結局、右肩複雑骨折、ご飯を食べている事から死にそうではない、内出血は見られるけど、骨折の仕方が良かったのかも?貧血や体調不良はなさそう、フン、そのう検査は問題なし。
レントゲンは希望しなかったし、おそらく2度と飛べないだろうが死んでしまうことはなさそうだとの見解。
2週間分の炎症止めや抗生物質をもらって、次回2週間後にまた来る予約を入れました。
その時ここ爺は!知らないところに連れてこられてビビっていたくせに、るる爺の診断中、ずぅっとお歌を歌っておりました(爆)
先生にも「おぉ、ご機嫌だね~」とお褒め頂いたほど(ん?褒めてくれてたのかな?疑問(笑))。
そんなわけで、るる爺ここ爺は初の別居。
ただ、神経の細いここ爺が参らないようにここ爺の目線にるる爺が来るように、机を2つならべて、ここ爺はいつものハウス、るる爺はプラスチックケース(虫籠、カブトムシ用(笑))で過ごしました。
るる爺はここ爺が見えなくなると呼んでいましたが、来ないとわかるとマイペースに過ごしていました(笑)
笑えないけど笑ってしまったのがるる爺の薬の飲み方、四角い餌入れに指定通りの濃度であげていたら、中央を飲んで「まずい!ぺぺぺぺぺっ!」右手前を飲んで「まずい!ぺぺぺぺぺっ!」左奥を飲んで「まずい!ぺぺぺぺぺっ!」じゃ、今度は左手前を飲んで…を延々と繰り返し、毎回「まずい」を連発しておりました。
2,3日もすると、るる爺は学習して、「水入れの周りについている水滴は不味くない」と発見したらしく、まず、回りの水滴を飲み始めました(笑)
すぐにさってぃんにばれましたから、水滴は拭かれるようになってしまったのだけれど。
2週間後、検診では問題なく、炎症止めを弱い物に変えてもう2週間様子を見るとのこと。
2週間後(骨折してから4週間後)、もう一度検診に伺うと、完治とのこと。
飛べない文鳥となってしまったけど、相変わらず可愛らしく、ここ爺にとっては掛け替えのないるる爺なのでした。
るるここは手乗りではあっても全然ベタ慣れではなかった………。
でも、先生はるる爺を保定しながら「良く頑張ったね、偉い、偉い!」とるる爺の頭をなでたのです!
私でさえ、した事がなかったのに!!!!!
るぴこぴだったら嫌がられたって保定も可能だし、頭をなでるのも可能ですが、その時は、「小鳥の先生ってスゴイのね!」といたく感動したのを覚えています(笑)
晴れて放鳥許可が下りたるる爺、ここ爺と一緒に出してみるとここ爺は当たり前のように「行こうぜ!」っと鴨居までひとっ飛び。
するとるる爺も続くのですが、20センチくらいしか飛べません。
るる爺も不思議そうに「あれ?飛べないや…」と、小首をかしげていました。
多分、るる爺は自分が飛べないということに1週間くらい気付かなかったと思います。
何度もチャレンジするので、常に座布団の上に居て貰うようにしました。
そんなわけでるる爺が飛べなくなったから、必然的にここ爺も下の方で遊ぶようになりました。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-13 21:35 | 回顧録
るる爺もここ爺と同じく1997年2月2日、私の所にやって来てくれて、生後4週位だったので、誕生日は1月1日元旦と決めました。
るるここは実家近くの小さな小鳥店に兄弟文鳥として里子に出されていて、二人は竹かごに入れられていて、「何~?」という目で私を見ていました。
その時私は赤いコートを着ておりまして、文鳥が好きそうにない色でしたが、むんずとコートごと腕を竹かごに入れたら逃げ場のないるるここ、ここ爺は竹かごの柵にしがみつき、るる爺は私の手に不時着してしまいました。
ま、逃げるスペースがなくって仕方なかったんだと思いますが(爆)、その時のさってぃんには「この子は私を選んだんだわ」なんて勘違いも甚だしかったのです(笑)
ここ爺が完璧な文鳥であったのに対し(褒め過ぎ(笑))、るる爺は
・足(指)の形がイマイチ
・頭が丸くない
・ちょっとどんくさい(こっぴーの方がはるかにどんくさいですが(笑))
等、遺伝子的に同じ時期の兄弟なのに劣ってしまったか…なんて思ってました。
るる爺は常に体調が悪そうと言うか、首を背中にうずめて寝ることがほとんどでした。
当時の私には「病気の鳥は首を背中にうずめて寝る」という認識が頭を締めていて「この子は体が弱いんだ。後悔のない人生を送らせてやりたい」と最初から決めていました。
一方、ここ爺は首を折ることなく、いっつも餅やおにぎりになって寝ていました。
2000年の1月、至ってるるここは元気だったのですが、るる爺のわきの下には羽が生えてこず、ピンクの地肌が見えました。
普通にしていると外観は普通なのですが、伸び~をすると地肌が丸見え!
素人ながらに肝機能があまりよろしくなさそうだと思っていました。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-13 21:34 | 回顧録
今の家に引っ越してきたのはここ爺が10歳半を迎えた2007年7月。
ここからは月に1度ほど癲癇様発作を起こしていました。
その時は必ずハロゲンヒーターを当てて、過剰なほど保温状態をキープ(夏でも保温)。
それが功を奏したかどうかは疑問ですが、大抵1分もすると落ち着き、本当の開口呼吸を始め水を飲み、ご飯を食べ始めたものでした。
ここに引っ越してからここ爺は22時が就寝時間と決め、21:30あたりから22:00の間に「寝かせろ!西川の毛布!」と催促をしていました。
起床は8:00、まあまあ健康的な生活を送らせてあげられた時期だと思います。
2008年3月頃から雀の雛が親鳥と飛来し、我が家のベランダの剥き餌を目当てにやってきていました。
雀の雛は警戒心も薄く、目の前のシードに夢中で、我が家では窓を開けて直に雛の写真も撮る事も可能でした。
ここ爺は雀の鳴き声にものすごく反応していたんで「老春」といってからかってました。
最初は網戸越しにここ爺と雀を対面させていましたが、雀は自分の事で一生懸命。
ここ爺は必死に鳴いてジャンプして、飛べないのに雀のそばに行こうとしていたものでした。
5月にはここ爺が飛べない事をいいことにガラスを開けて私達は室内に待機、ここ爺はベランダで、雀たちには剥き餌をあげたところ、お爺ちゃんも私達もいるのに雀たちはやってきて餌をついばんでいました。
だけど、お爺ちゃんが雀に寄って行くと、雀たちは逃げてしまう………。
さながら、お爺ちゃんを避けて、ご飯を頂くという何とも寂しいシチュエーションとなってしまいました(笑)
でも、ここ爺はるる爺が旅立った後、こんなに生き生きした事はありませんでした。
一生懸命鳴いて、「ねぇ!ねぇ!」と言っている気がしました。
そんな事を何回か繰り返して、これからもしばらくは続くと思っていました。
b0158061_21441632.jpg

横向きで申し訳ありませんが、ベランダで生き生きとするここ爺

2008年6月6日金曜日
いつものように外出し、一つ用事があったけどまた今度と、早めに帰って15:50帰宅。
ここ爺が「雀!」というので網戸越しのランデブーとなりました。
ここ爺が雀に夢中な時は、ここ爺から私に触れてきました。
「触れた」のではなく「歩いている時にさってぃんにぶつかった」だけなのですが(笑)
網戸のそばに私の顔を固定しておくと、ここ爺が右へ左へ、私の顔に触れながら移動するのがものすごく嬉しいのでした。
でも、右側に行った時、カシカシッという床に降りた音が。
ちょっと発作っぽいと思って顔を向けると、ここ爺は喀血していました。
あぁ、何度となく発作を乗り越えてくれたけど、今度はお別れだね。
ここ爺、ありがとう。私を育ててくれてありがとう。と、お別れをしました。
外出から帰宅して20分くらいしてからの出来事でした。
用事を先延ばしにしたからこそ、お別れが言えたのかもしれません。
この時は神様に心から感謝しました。
「お別れをさせてくれてありがとうございました」と。
その夜、ここ爺をるる爺の隣に埋葬しに行きました。
今は二人天国で、生涯出会う事がなかった文鳥の女の子に声を掛けまくっているに違いありません!
この奇跡的な出会いに心から感謝しています。
ここ爺逝去の次の日、るっぴーとこっぴーをお迎えに京王デパートに行きました。
るぴこぴとの出会いもありがたい奇跡です。
最後に結構お爺ちゃんだなぁと思う白髪交じりのここ爺
b0158061_16524199.jpg
b0158061_16541577.jpg
b0158061_16531987.jpg

[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-06 21:45 | 回顧録
るる爺の逝去後、水浴び命のここ爺は手水浴びをマスターしたのです!
前の家のキッチンで初手水浴びをしました。
それほどお「風呂命文鳥」だったのでしょう。
今の家に引っ越してからは午後6時になると、「風呂!風呂!」と催促されキッチンで、または洗面所で、場所を特定せず手水浴びを要求していました。

この頃から、羽齧りか、羽の奇形かは分からないけれど、1,2本羽が外に跳ねる事が常となっていました。
本来なら治療という選択肢も飼い主が抜くという選択肢(これはビビってできませんでした)もあったけど、御年も御年、老後と癲癇を考慮して、ビタミン水と保温で現状維持。
これが変調のサインで、処置が遅れて旅立ってしまっても「致し方なし」と腹をくくりここ爺のストレスがない生活を選びました。
b0158061_21364079.jpg

「癲癇様発作」が本格的になってきたのはここ爺が10歳を過ぎたころから、訳もなく、きっかけもなく、ハウス内で、放鳥時に床の上で、急にキューキュー開口呼吸を始め、時にはよろめき、時には翼を広げて目を細めてしまうこともありました。
発作の時間は1分程度、本来、飼い主は静かに声をかけるなどと飼育書に書いてあったけど、家人はあまりのパニックで、床を叩きながら「ここ爺!まだ行くな!ここ爺!」と三途の川を渡らない様に必死に叫んだ事もあったそうです。

ここ爺は9~10歳位の間に徐々に飛べなくなりました。
飛べても30センチくらいの高さが限界。
これは怪我とかではなく純粋に体力の低下、関節の柔軟性が老化で失われたかららしく、冷蔵庫の上やガスコンロの上にも飛べず、ヒトに連れられて上昇する事が常になりました。
もう、枝が2段も必要なくなったので、下の段のみの生活を送ってましたが、晩年はそれも必要ありませんでした。
b0158061_16585914.jpg
b0158061_16592367.jpg
b0158061_1659443.jpg

ハウスの高さが高い分、保温が大変と思っていましたが、今は雛用やハムスター用の低いハウスの柵があるようですね。
バリアフリー生活に入ると、床には新聞紙を引き、水は25ccしか入らない小さな小皿にビタミン水、人間用サプリのプラスチックのキャップにシードとグリーンボールを入れていました。
ちなみにビタミンは池袋にある「小鳥の病院」で処方して頂きました。
こちらの先生にここ爺の癲癇症状を紙に書いてお伝えして、粉薬を頂いてました。
病気という訳でもなく、癲癇で通院しないとの事からお薬の郵送もして下さいました(料金は振り込み)。
ここ爺は生まれてからずっとグリーンボールが大好きでした。
「探そうぜ!グリーンボール!」などと我が家では替え歌も流行ったりして(笑)
この頃も夜更かし文鳥生活をさせてしまいました。

ただ、1度だけ鳴かない朝がありました。
明らかに不調の様子、風邪をひいたのかも知れないと保温強化しました。
その晩には少し鳴き、さってぃんの肌をちねっていました(結構痛かった………)。
次の日には復調してくれたのです!!!
常々ここ爺は遺伝子が強いと思っておりましたが、この復調力が私に「遺伝子論」を言わしめるゆえんです。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-06 21:40 | 回顧録
何となく具合が悪いというか、目を細めて開口呼吸しているかのような事はあったと記憶していてますが、認識できた初発作は2004年の夏頃(7歳半の時 私はずっと5歳半ころだと思ってた (汗))でした。
先述の有名な先生のところへるる爺と共に健康診断に行った時、先生に保定されて「ん~、痔気味ですねぇ」なんて衝撃的な事を言われていたら、呼吸が荒くなって先生が「あっダメだ」とおっしゃったときでした。
「何がダメ?」とぽかーんとしているところへ「癲癇様発作」の説明を受けたのでした。
それ以後は爪切りをしても下手したら発作という事があり、るぴこぴと比べると「挿し餌の有無」がヒトとの関わりで大きなものが生まれるのかも?とも思います。
8歳11カ月でるる爺が逝去した後も、ここ爺はるる爺と同環境で元気に生活してました。
「癲癇様発作」の引き金は、第1に爪切り。
挿し餌なし、お迎え時から2羽生活、握り文鳥不可、帰宅拒否などのから手乗りではあったけど、ベタ慣れ文鳥ではなかったと思います。
ハウスに帰宅するのはお腹が空いたときのみ(笑)
実家は鴨居がある和室だったので、鴨居や神棚、天袋の中などは今も爆弾だらけでしょう(爆)
るる爺逝去後、一人ぼっちになったここ爺が人懐っこくなってきました。
よく手で寝るようになり、慎重なここ爺はるる爺が開拓した居場所を奪うという取り柄も発揮できなくなりました。
この頃、最悪ば場合は25:00就寝、7:00起床と還暦文鳥には辛い生活を強いた事もありました。

b0158061_21331613.jpg

ありし日のるる爺
るる爺は5歳半の時に、右肩を骨折。骨折を運良く乗り切り8歳11カ月まで私と一緒に過ごしてくれました。詳細は後日書かせて頂きますが、年中具合悪そうにしながらも、最期の時までしっかりと生き抜いた素晴らしい文鳥でした。
[PR]
by ruppycoppy | 2010-01-06 21:33 | 回顧録